私が本当に許せなかったもの ~前編~

私は思春期を迎えたあたりから、母に対してわだかまりを持っていました。
母がお世話をしてくれたから、赤ちゃんの私は生きられたのですけど。

理屈ではそう分かっていても、母親に対して複雑な思いを持っている方は、少なくないのではないでしょうか。
私自身もまだ、手放しで「お母さん大好き!」とは言い難いのですが。
母に対する自分の気持ちを、ちょっぴり受け入れて、ちょっぴりスッキリしたお話です。

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私が心理学を学んでいる一番の理由は、自分がとらわれている「苦しさ」から解放されたい、いわゆる「癒されたい」からです。

その「苦しさ」が何なのかというと、上手くいかない人間関係や孤独感、自分はいい存在ではないという思い、自覚している分だけでも数えだしたらキリがありません。

両親・きょうだい・パートナー、ある時には友人や職場の人間関係と、誰かとうまく関われないことによる苦しさが、ほとんどのように感じます。

心理学を学び始めてからは、うまく関われるように心理法則を引っぱってきて当てはめてみては、あれこれ悩ました。

「そもそもなんで私が変わらないといけないのだろうか。」
「ひどい態度をとってくるあの人たちが、反省して変わればいいのに」

一向に「苦しさ」から抜け出せない理由を、許しがたい行いをしてきた人たちのせいにして。
周りを悪者にして、本当に許せないものから目をそらしていた私でした。

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「私は人の気持ちがわからないの。自分以外の人を『かわいそう』とか、ぜんぜん思わないの」

5年ほど前のお正月、母のその言葉でなごやかだったその場が凍りつきました。
聞いていたのは、父・弟・私。

何も言えない3人をよそに、母は話し続けます。
(まあ母はいつも、大体一人で話しているんですけれど)

「自分がかわいそうな時は涙が出るんだけどね。あなたたちもそうでしょ?まったく泣かないもんね!」

そんな内容を一方的に話し続けた母が席を外したあとも、私たち3人は無言でした。

(母は人の気持ちが分からないから、人を傷つける言動ができるのか!)
と、私はなんだか妙に納得して、
(分からないんだから仕方ないよね。それを恥ずかしげもなく堂々と言っちゃうところも、周りの気持ちが分からないせいだよね)

そんなふうに、母のことをものすごく下に見て、上から目線で考えていました。

私が子供の頃の母は腹を立てると、とにかく手が早い。
いきなり「バチーン!!」ときたり、私の宝物を目の前で壊してみせたり、友達との交換日記を読んで平然と意見をしてくるようなスパイシーな人でした。

私が大きくなってからはさすがにそんなことは無くなりましたが、家を出てからも、実家に帰れば母は自分の趣味の話ばかりしてきましたし、こちらの話は何も覚えていない。

思い返せば確かに、人の気持ちがわからないと言った通りのことばかり。

(どうしていきなり「人の気持ちがわからない」なんて言い始めたのだろう?まあどうせ言っても分からないんだから、何も言わなくていいや)

父と弟が何を考えていたのかは分かりませんが、TVに視線を向けたまま誰も一言も発しない実家のリビングで。
私は勝手に『母とは違って人の痛みが分かる父と弟と私』というグループを、心の中に作っていました。

母に振り回されている父・弟・私は、理不尽な母の言動を許してあげているいい人という感覚。

その時の私は母のことを「対等な人間」として見ていませんでした。
表面的には対立することなく、物わかりのいい娘を演じながら、
(母は私の心身を痛めつけたのに、一人だけこんなに楽しそうに自由に過ごしている。言っても分からないから別にもういいけどね)
と、母のことを許してもいないのに許したフリをしていました。

そのお正月事変から数年後に心理学を学び始めた私ですが、その後もいろんな人を「許したフリ」をし続けました。

母や離婚した元夫、私を傷つけた人たちのことを、何も気にしていないかのように語っては、
「あんなひどい目に合わせられたから、今の強い自分がいるの。嫌な人たちのおかげで私は成長できたから、良かったことなんだ。」
そんな風に振舞っていました。

今思えば、感情のまま怒りをぶつけられたり、殴られたり、意見を言えないような関係が良いことであるわけがありません。

けれど、自分が傷ついていることを認めたくなかったし、誰にも知られたくありませんでした。

なぜ知られたくなかったか。
友達のお母さんの話を聞いて、うちとはまったく違うことに衝撃を受けた小学生の時から。
一般的には子どもを守る立場である母親や、愛し合って結婚したはずのパートナーにすら、ひどいことをされて傷ついている自分が死ぬほど恥ずかしかったからです。

人に言えるはずもありません。

自分は一番近い、大好きな存在の母やパートナーに痛めつけられるような、取るに足らない存在だと認めることになりますから。
(先に言っておきますが、これは大いなる誤解です。苦しい時の目線から見ると、そうとしか思えないという一例です。後編でお伝えしますね)

そんな恥ずかしい存在の自分を隠すために、過去のことを気にしていないフリをして、母を下に見ることで、私以上に取るに足らない存在だと下げていました。
理屈では取るに足らない存在である母から、傷つけられることなんてありませんよね。

けれども隠して抑え込んできた感情は、消えることはありません

ただ、見ないように感じないようにしていただけなのに、
「最近は母に会っても、腹も立たないし、私も大人になったのね」
なんて思ってさえいたのです。

だけど母への怒りもあまり感じないかわりに、自分がどうしたいのか、何が欲しいのかも分からなく、時々悲しさだけが襲ってきました。

どうしてそんなことが起こるかというと、感情の一部だけを感じないようにすることはできないからです。
母への怒りを抑え込んだ私は、同時に他の感情、悲しさはもちろん嬉しさや楽しさなど心が動くこと全てを抑え込んでいました。
だから、自分がどうしたいのかも分からなかったのです。
「私はこうしたい!」も、感情の一部ですから。

でも悲しさは抑えきれなくて、たまに出ちゃうんです。
きっかけがあると急に。

けれどその当時の私は、なぜ悲しくなるのかもまったく分からず、何もする気分になれない時期が続いていました。
そんなある日、自分が隠した、絶対に認めたくない感情を思い出す出来事が起こったのです。

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