いつも『あの人』に似た人を好きになる理由 ~前編~

みなさま、こんにちは。
心理カウンセラーの成田真凛子です。

カウンセリングを受けたことがある方だと経験されているかもしれませんが、恋愛やパートナーのお悩みなのに、カウンセラーから親子関係について聞かれることがあります。

いやいや、悩んでいるのは親との関係性じゃないんです。
今近くにいる人との関係に行きづまっているのに、どうして急に親の話に??

そう思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ところが親子関係は、今起きている人間関係のパターンとなって表れていることが多いのです。

もちろん私も例にもれず、親との関係や感情を、無自覚にパートナーへ転嫁していました。

タイトルの『あの人』とは、母のことです。

『あの人』の部分に、父や兄弟姉妹、他の近い関係性の方が入る場合もあるかもしれません。
私の場合は母だった、そう気づいた時のお話です。

私の恋愛対象は男性ですが、母に似た人を好きになるはどういうことなのか。

離婚や好きな人との別れを経験して、のちに気づいた自分の恋愛パターンを整理してみると、意外に単純で素直な自分が見えてきたのです。

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私は実家から車で20分程度のところに住んでいます。
(引っ越しをする前も、した今も)

両親と会おうと思えばすぐに会える距離ですが、4年程前まで実家とのやり取りは必要最低限しかありませんでした。
法事や年始の挨拶などですね。

交流がなさすぎて、実家に住んでいる弟が結婚したことを1年近く知らなかったくらいです。
さすがに驚きましたし、疎外感を感じたのを覚えています。

なぜそれほど両親と心の距離があったのか。

一つは、私は嫁いだ娘であり、生活単位が違うという母の考え。
他家へ嫁いだのだから、やたらと実家に頼るものではない、そんな風に諭されました。

もう一つは、私が苦しんだり悩んでも実家の家族は助けてくれなかったという思いから、子供のころから私自身が心を閉ざしていたからです。

夫との関係性でどうにもうまくいかなくなったとき、身近で話せる相手が母しかいなかったため相談したのですが、
「あなたの話は、暗い気分になるから聞きたくない」
と電話を切られました。

今考えると、母自身にも余裕が無かった時期だったな、そんな時に子供の辛い出来事を聞くことが出来なかったのかもしれないなと思います。

けれどその当時の私は、最後の頼みの綱も切れたように感じ、今まで以上に自分一人の殻に閉じこもることを選びました。

誰にも助けてもらえないのだから、ただ限界まで耐えるしかない。
頼った自分がバカだった、がっかりするのはわかっていたのにまた期待してしまった。
(父に相談したらよかったのに、思いつかなかったということは、父に対しても私は心を閉ざしていたようです)

そんな私と母ですが、思春期前の子供時代は、母に喜んでもらうことが私のすべてでした。

勉強もスポーツも、母の希望をかなえることが私の行動理由だったわけです。

もっと見てほしい、もっとほめてほしい。
という子供としての願いがありました。

ですが当時の母は超スパルタで、子供を思うように動かしたいタイプ。
次々と目標が設定されていくのです。
あれもできるでしょ、これもやりなさいね、なんでやらないの、どうしていうことを聞かないの!?

やらなければ罰が待っています。

現在、私が母という立場から、子供たちに自分の考えを推してしまうことはたくさんあります。

子供には自分が苦労したような経験をさせたくない、そう思うと手出し口出ししたくなるのが親心なのかもしれません。

たとえ私の母がそこまで深く考えていなかったとしても、私の不幸を願っていたわけではないと、今は理解しています。

しかし思春期をむかえた私には、母の言動が愛情から来るものだとは、1ミリも思えませんでした。

小さい頃から、母の望みをかなえるためにがんばってきたのに。
やってもやっても終わりがなく、そのつらさを母はわかろうともしないどころか、罰まで与えてくる。

私のことなんか、まったく見ていない。

いつも激しい怒りを感じていた私は、高校生にもなると家にいる時間がどんどん短くなっていきました。

部活を3つ、バイトも2つ掛け持ちし、家に帰るのは食事と睡眠のため。
忙しければ家にいる時間が短くなり、さらにお金があれば親に支配されなくてすみます。

けれども毎日が疲れきっていて、自分が選んだ方法なのに苦しくて仕方がありませんでしたし、とにかく早く家を出たいと思っていました。

居心地の悪い実家を出て、自分の居場所が欲しい。
こんな家族じゃなく、本当の家族が欲しい。

そう願ったからなのか、私は若くして結婚をしました。

やっと『本当の家族』を手に入れた私は、これですべてが上手くいくと思っていたんです。

ところが、結婚早々におどろきの事実と向き合うはめになりました。

『母が嫌で家を出たのに、夫の言動が母にそっくり!!』

目の前にいるのが、母から夫に変わっただけ。
機嫌をうかがいながら努力と我慢をしても、終わりのない目標が次々と設定され、再び疲れ切った生活へと戻りました。

あれほど家から、母から離れたかったのに・・・

なぜ、母に似た人をパートナーとして選んでしまったのか。
わからないまま16年間の結婚生活を経て、離婚をしました。

・・離婚が終わりではないことに気づいたのは、それから数年後です。

(後編へ続きます)

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