やめられないスマホ~充実感と達成感~

本当かどうかはわかりませんが、怖い話を聞きました。

人は運動不足になると、少しでもその不足を解消するために、『咀嚼(そしゃく)』回数を増やそうとするそうです。
要するに運動不足解消のために、口を動かしたくなるということ。
何も入っていないのに動かすのは難しいので、つい何か食べてしまいますよね!

そんな口を動かすくらいの運動量で解消しようとしないで、走り出したくなる欲求へと変化させてほしいものですが。

小さいことをコツコツ積み重ねながら生きているんだなぁ、と感じました。

いいことを積み重ねているのなら素晴らしいことですけれど、自分でも理由がわからずに続けていることもあります。

私の場合はスマホゲーム。
やり始めた当初は、目新しさもありそこそこ楽しくプレイしますけど、すぐにその日のノルマをこなすだけの日課になります。

したことがない方にはわかりにくいかもしれませんが、内容的には同じことを繰り返しています(ゲームとはそういうもののような気もします)。
ですので長く続けていると、楽しいというよりは生活の一部のような、何のために自分のスキマ時間をつぎこんでいるのだろうと思うこともしばしば。

その時間に心理学用語の一つでも覚えれば、よっぽど有意義なのではと考えてはいるのですが、わかっているのに無駄にコツコツ続けてしまっています。

もしかしたら運動不足解消のために口を動かすのと似たような、意識していないところで何か意味があって、特に熱中しているわけでもないスマホゲームに時間を使ってしまっているのではないかと(都合よく)思ったのです。

これは何不足からの行動なのか?

楽しくてとか息抜きにしている分には何の問題もないように思いますが、私の場合は義務のように無感動でプレイしています。

いつもやっているわけではなく、ある日いきなり何でもいいからゲームをダウンロードしたくなり、しばらく続け、まったく楽しんでいないと我に返ってアプリを削除したり。

私の娘も、「何か打ち込める趣味が欲しいな」と思いながら、スマホゲームで時間が過ぎてしまうとのこと。
いつもものすごくつまらなさそうに、「あー、やらかした」などと言いながらプレイをしています。

なんでやめられないんだろうね?と話していたのですが、共通点として「スマホゲームが一番楽しいこととは思っていない」のは間違いありません。

自由になる時間も少ないのに、貴重な時をあまり楽しくないことに使っている二人。

けれど行動しているからには何らかの理由があるはずで、得ているものがあると思うのです。

先ほどゲームは基本同じことの繰り返し(私の感じ方です)といいました。
初めは目新しくとも続けていれば日常生活のように慣れていきます。
ゲームは日常生活と違って生きるためではなく、なのに代わり映えのしない(感動の薄い)タスクをこなす、そこに何のメリットがあるのでしょう。

あくまで私の個人的な感覚ですけれど、『達成感』ではないか?とふと思ったのです。

ゲーム内の似通ったイベントをこなす理由は、決められた量のコンテンツを終わったという小さな達成感を得ているように感じたのです。

日常生活において達成感を得るには、結構なエネルギーが必要です。

例えば主婦目線で言うと、労力を使う食事の支度も掃除も、さほど達成感を感じないんですよね。
個人的には大掃除レベルになってやっと、「私がんばったわ!!」という満足感を得られます。

会社員視線で言うと、一つの業務を終わらせても次々こなすべきタスクのひとつなので、達成感はほとんど感じません(もちろん感じる方もいると思います)。

大きな案件が終わったとしても、私は裏方職なのでやることは日々変わりませんし、案件に直接かかわっている同僚も毎日達成感を感じているわけではないでしょう。

学生である息子だって、学業にしろ部活にしろ、達成感を得るまでには多くの時間を費やしています。

その点スマホゲームは、一日にこなす量が決まっていて「Complete!」「達成!」とわかりやすく教えてくれますし、何しろ指先一つのエネルギーしか使わないんです!!!

毎日のことは疲れるから、なるべく省エネルギーがいいですもんね。
達成するとすぐに報酬がもらえるところも、仕事と違ってわかりやすい部分です。
お手軽に達成感を得ることができると思いませんか?

ただそこには弊害もあります。

時間が失われるということ、現実ではないということ。

だからすべてが悪いとは思いません。
気持ちや行動を切り替えるのに、ちょうどいい休憩にもなるのかもしれませんし、コミュニケーションツールになっていることもあるでしょう。

だけどもし、スマホゲームをしてしまうことに罪悪感を感じる、生活に支障が出るほど時間が過ぎてしまうのなら、何が欲しくてゲームをしているのか向き合ってみてもいいように思います。

ちなみに私は、インスタを見ると思った以上に時間が過ぎてびっくり!!
おそらくゲームのように達成という区切りがないからだと思われます。

ゲームでもインスタでも、それは誰かの制作という達成したコンテンツを提供されています。

それを使うだけ、見るだけで心底満足しますか?

自分は現実で何を達成したいのか、それを先延ばしにしたり、無いもののように扱ってはいませんか?

自分が主体で生きることに、どこかブレーキをかけてはいないでしょうか?

どうせできないと諦めるより、何度も挑戦するほうが、たとえ達成できなくとも充実感を感じます。
スポーツをやっていたことがある方は、感覚としてわかりやすいかもしれません。

そのためにはまず、『自分は何を成したいのか』知ることですよね。

『成したい』というと大ごとに聞こえるかもしれませんが、自分が本当に欲しいものは何なのかということ。
学生時代に競泳をやっていた私が成したかったことは、『今より速くなること』でした。

終わりがないように思えるかもしれませんが、私にとっては楽しく満足でき、達成感を感じることだったのです。

今の私が成したいことは、『私のカウンセリングが人の役に立つこと』です。
これも終わりはないように思いますが、やりたくてなおかつ楽しいことなのです。

楽しいと思えることをしている時は、その過程でも充実感・達成感を感じているのではないでしょうか。

そこでもし簡易的な達成感を求めてしまうとしたら、自分に真のいい気分を与えたくない、自分を罰しようとしている罪悪感が大きいのかもしれません。

とはいえ私もこうしてブログを書くほうが、スマホゲームより何倍も夢中になれるのに、書かずに時間を無為にしているわけですから大きなことは言えません!

私の場合は、自分の方向性や現状に不安や悩みが出てくると、急にゲームをしたくなるということにブログを書きながら気付きました。

気付いてしまえば、したいことがあるのに別のことに時間を使ってしまうのは、とてももったいないなと思えます。

疲れた時の『お手軽省エネ達成感モード』もいいけれど、心から楽しいと思えることをやっているときの方が、時間が無くても元気いっぱいだったりしませんか?

ついついスマホで時間を使っているけれど、自分は何をしたくて、何が楽しいと感じるのだろう?

よくわからないときは、一緒に考えさせてくださいね。

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