どうやら私は「そのまま」でいいらしい~分離とペルソナ~

ありのままブームは何年前だったでしょうか。

アナと雪の女王がはやりに流行ったとき、思いました。
世の中には「ありのままに」「自分らしく」生きられていない方がたくさんいるのかもしれない。
そう感じたのは、きっと私もその一人だったからですね。

ボランティアカウンセラー時代、私はちゃんとカウンセリングができているのか、今のままでプロになれるのかと悩んでいたのですが、
「あなたはそのままでいいよ」
「今のあなたでいいよ」
と何人もの方から、そういう意味の言葉をかけていただきました。

過去の失敗体験からくる自己否定の言葉より、いま好意を持って伝えてくれる方達の言葉を信じようと、やっと思えるようになってのプロデビューでした。

思えるようになったはずなのに。

その場から離れると、こんな心の声が聞こえてきたのです。

「そのままでいいよ、の『その』ってどの部分のわたし?」

・・・ホラーではありません。

疑問に思ったものの、正直まったくわからなかったので、
『そのままでいい』と言ってもらえている、私の中の『いい部分』を誰かに教えてもらって、がんばってその能力を伸ばそう。
そうしたらもっといい自分になれるはずだ!

本気で真面目にそう思っていました。

いい部分を伸ばすのは悪くはないです。
(が、もっといい自分でいなければならないという、自分に対してのコントロールはありそうです)

なので、当時お世話になっていたカウンセラーに、
「そのままのあなたでいいと言われるけど、どの私ですか?」
と聞いてみたのです。

「どの、っていうのは分離だよ。一つずつ自分を分けなくていいんだよ」
そんな意味のことを言われました。

たしかに、自分や周りの方がどう思おうが、全部私なので分けられません。

分離というのは、繋がりが切れている状態のことです。

例えば、友達同士で集まっているのに自分だけ取り残されたような気持になる、というのは人と分離している状態ですし、
自分ではつらいと感じていなかったのに、「がんばってきたんですね」と声をかけられてなぜか涙が出てきた、これも自分の感情と分離していたということです。

人が苦手だった私は、自分の中でさえ自分自身を遠ざけていたことに気付きました。

自分が分離しているのに、周りの人との繋がりなんて感じにくいですよね。

みんなともっと仲良くなりたい、繋がりたいとか言いながら。
もらって嬉しかった『そのままでいい』という言葉を使って、自分をさらにバラバラに分けようとしていたようです。

本来『そのままでいい』とは、いい私も悪い私も丸ごと含んでいるから『そのまま』なんですよね。

だけど私の中で、
「どうせみんな私のいい部分しか見ていないから、そのままでいいと言えるのだろう。」
のような思いがあって、それならばみんなの見ていないダークな部分はこっそり抹消してしまおうという魂胆だったように思います。

だからみんなの見てくれた、『その』いい部分を知りたかったわけです。

よくよく考えると大変失礼な話です。
周りの目をまるで節穴のように、いい部分しか見てないとケチをつけているのと同じですから。

ごめんなさい、みなさま。

しかしながら、私がそう思うのにも理由がありました。

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私は中学生ころから、場や相手に合わせて自分の性格を使い分けていることに気づきました。

大好きな友達には甘えキャラ、先生にとっては責任感ある姿、好きな異性に対しては謎の上から目線、家族に対しては愛想ゼロ、etc…

少なからず誰もがこういったペルソナ(仮面、役割)を使い分けています。

それぞれ目的が違うので、行動基準も違います。

だからこそ『そのままの自分』とはどれのことなのかと、考えてしまったのです。

なぜそんな面倒な使い分けをするのでしょう。

人それぞれの事情や状況がありますので、答えはひとつではないと思いますが、私の場合はそのままの自分が愛されるとは思えないから、周りに好かれるため、自分自身を守るためにたくさんの役を演じてきたのだと思います。

自分が思うように振舞って、それを周りがすべて認めてくれる。
このような赤ちゃん時代には、おそらくペルソナは必要なかったのではないでしょうか。

けれど成長していくにつれ、求められることが増えていき、上手くいかない時は上手くいくように変更をしますよね。

私はいつも正しさの境界を求めて、これはこっちで合っているのか間違いなのか、常に周りの様子をうかがってきました。

人に合わせたほうがうまくいく、という観念をもっていたので、その正しさの基準は自分のものではありません。
人の数だけ正しさはありますから、人に合わせようとすればするほど、たくさんの仮面が必要でした。
私は人見知りの激しいタイプだったのですが、よく知らない人にチューニングするのが大変だったからかもしれません。

子供の成長の過程では、『自分』を認識するから『自分ではない人』もわかる。

赤ちゃんが生まれてその後しばらくは、自分と他の人の区別はついていないそうです。

私には孫がいて、立ち合い出産を経験しましたが、孫は産まれ出た一瞬以外は丸一日泣きませんでした。
私が抱っこをしても、母である娘が抱っこをしてもスヤスヤ。

看護師さん曰く、「生まれたことに気付いていないのね」と。

思いのほか外の世界も心地よかったのかどうかは分かりませんが、そのくらい最初は『自分』と『まわり』が繋がっていて、一体なんだな~と実感しました。

何かの漫画でも読みました。
生後三週間目に、自分が生まれ出てしまったことに気付いて、何をしても泣き止まないそうです。
一体だった母と離れてしまった悲しさかもしれないですね。

だとしたら、自分と自分以外を分けるのって、辛いことなのかもしれません。

安心・安全だったお腹の中にいて、ある日突然離れる。
想像するとなんだか切ない気持ちになります。

けれど大好きな相手と別の人間であることは仕方のないことで、お腹の中にいた頃のように、一体でいたいと思ってもかなわない。

ひとりの人間として生きるために、人と関わるうえで試行錯誤して生まれたものがペルソナだとすると、それは役を演じているのではなく一つ一つが『そのままの自分』なのではないでしょうか。

分断されているように感じられるかもしれませんが、自分は分けられないのです。

パーソン(人格・人間)の語源はペルソナであるという話は、ご存知の方もいらっしゃると思います。

いい子でありたかった自分、好きな人に好かれたかった自分、怒りたいのを我慢した自分、周りから浮かないように役割をこなす自分、その時々の膨大なペルソナすべてがひとりの『私』を形作っていると、今の私は感じています。

「どの自分も全部わたし!!」で、演じているニセモノの何かではないのです。

けれど、本当の自分ではないような感覚が強くて、それが苦しいと感じているのなら楽になりたいですよね。

ペルソナを使って抑圧している感情や感覚が、苦しさというサインを出していることもあります。

苦しくなければ、抑圧していることにも気づきにくいですし、苦しさやつらさを感じている度合いだけ、抑えている感情があるということ。

同じように自分や誰かと分離しているときも、怒りや悲しさを感じたり、何も感じないという感覚(実際は感じているのですが)になることが多いようです。

かつて私には20年以上苦しんできた症状がありました。

すぐ目の前にいる人が遠くにいるように見えたり、声がとても小さくしか聞こえなくなったり、感覚のボリュームを下げているような状態に急に切り替わることがあり、心的防衛反応として起きていたと後に知りました。

日常では大きな支障はなかったものの、自分が生きている感覚が薄いので、スポーツをしているなど肉体的に苦しい時にしか現実を感じられませんでした。

今はそんな状態から抜けて何年もたっていますが、分離のつらさや何も感じないという感覚はよくわかります。

演じている自分をさらに遠くから見ている自分がいるなあ、というくらい、ものすごく遠く離れたところにポツンとひとりでいる感じ。

どうやってそこから抜けたのかというと、離婚をしようと覚悟したことが始まりでした。
離婚を推奨しているわけでは、決してありません。
パートナーと紆余曲折を経て、絆を深められることに越したことはないと思いますし、そのために何度も関わり方を考えてきたつもりです。

私の場合は、自分の幸せを考えたいくつかの選択の中から、離婚を選んだというだけです。

なんにせよ、自分の幸せを自ら選ぶというのが、これまでと違う決断でした。

簡単ではなく、子供たちの将来にもかかわることですし、何年も葛藤し続けました。
公務員試験を受ける娘に影響しないのか、まだ小さい息子にとっての最善はどうなのか、悩み、悩み・・。

自分主体で生きると、決めました。

私が生き生きとしていれば、子供たちは自然に自分らしく生きることを学ぶでしょう。
そのためにはまず、私が苦しまずに生きようという意欲を持つ。

そうと決まれば、分離して遠くから眺めている場合ではありません。

徐々に現実を生きている感覚を取り戻し、今は以前のような「自分と離れている感覚」状態になることはなくなりました。


ありのままに生きたいと願いながら、自分にできることなど何もないと、過去の私のように気持ちを押さえつけてばかりいませんか?

そのままとか、ありのままでいいとは、努力も変化もしなくていいという意味ではないと思います。
すでに努力したり変わりたいと願っていることも含めての、そのままなのであって、無理に何者かにならなくてもいいということではないでしょうか。

悩んでいる方は、自分なりに頑張ってきたから悩んでいるのだと思います。
その頑張りを、周りの評価からではなく自ら認めてきましたか?

ダメだと感じている自分自身を無いもののように扱うのではなく、いろんな自分を受け入れようという意識を持ってみてください。
いきなりできるようにはならないかもしれませんが、できない自分も『そのまま』認めていいのです。

もし難しく感じるようでしたら、自分とのつながりを取り戻すお手伝いをさせてくださいね。

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