家族や仕事から抜け出そうとして結婚をした私でしたが、どうにもうまくいかなかった、そんな前編からの続きです。
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入籍直後、結婚式の準備中に元夫から初めて手を上げられました。
今思えばその瞬間に「この人を心から愛することはない」と、元夫を愛することを私が止めたのです。
誰が悪いとか、状況などは置いておいて、私の心の状態の話です。
「私を殴ったこいつは、絶対に許さん!!」と思ったあの日、結婚生活は地獄の始まりだとしか思えませんでしたが、元夫からしても地獄ですよね。
きっかけを作ったのは自分自身とはいえ、妻は絶対に許さないと決めているのですから。
それからは元夫のひどい行動にも耐えて正しく生きてきた、自分だけが我慢して努力したと思っていましたので、
「あなたは間違っていて、私は正しい」
という態度を取り続けてきました。
もし元夫なりに自分が悪かったと思っていたとしても、ずっと反省し続けられる人はいないでしょうし、いつまでも責められて機嫌が良くなることもないでしょう。
自分が『相手に悪いことをしてしまった』と思う分だけ、『相手からも同じようにひどいことをされるのではないか』という投影をしていたかもしれません。
自分が浮気をしているから、相手もしているかもしれない、とかですね。
何度疑われたことか。
「あなたと一緒にしないでよ!!」
という言葉を飲み込んだ私は、口に出さずともそのまんまの顔をしていたはず。
私は直接言葉で言われて反撃できましたが、ただ冷めた目で見られる元夫は相当きつかっただろうとは思うのです。
だからといって力でどうにかしようというのは論外ですが、元夫は物理の力を使い、私は言論の力を使ったということではあります。
そんな年月を重ねてきたのに、家を買うからと関係性を修復しようと伝えても、相手からすると急に何を言い出すんだと、疑心暗鬼にもなるでしょう。
今までと違うことが起こると、様子を見たりしますよね。
本気なのか試したくなったりもします。
案の定?元夫は、
「あのハウスメーカーの営業の男が好みだろう。絶対あのメーカーでは家を建てない」
と言い始めました。
『ああ、私たちが仕切りなおす最後のチャンスだったのに。(←そんなこと元夫は全く知らないのに!)あなたはここでも私を疑って文句を言うのね』
そこで家を購入する話はあっさり終了です。
私は家族で暮らすために努力したのだけれど、またもやあなたのせいで壊れましたよ~。悪いのは元夫、という私にとって安定のパターンになりました。
実際好みだったかどうか?
よくわかりましたね!という感じです。
私が元夫の好みの女性がわかるように、相手もしかりです。
お互い理解していることも多かったのに、なんて残念な使い方・・。
実際には私が「愛さない」と決めた通りのことしか起きていません。
たくさんあった分かれ道をその都度、『愛さない』方へと進んできました。
何を隠そう私自身が、家を買おうとすることで元夫を試しながらも、二人がうまくやっていけるなんて少しも信じていなかったのです。
当たり前です、私の前提がそもそも『いつか離婚したい』なんですから。
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離婚をしたとき、知り合いからは「よく離婚に応じてもらえたね!?」と言われました。
私としては準備をしながら離婚のチャンスを待っていただけでしたが、周囲にはバレていなかったようです。
逆に元夫は私のカウントダウンをよくわかっているようでした。
ついにケンカをきっかけに、離婚をすると決めて私が家を飛び出すこと2週間。
「息子が笑わなくなってしまった。離婚をするから戻ってきて欲しい」
と、電話がありました。
娘が高校生、息子は小学高中学年。
事情を知っている娘も不安だったと思いますが、息子にはわけも分からず耐えがたかったのでしょう。
夫と私が入れ替わること、その時に離婚届を書くことを条件に、私は家に戻りました。
激しい攻防を予想していたのに、意外にももめることなく離婚は成立。
だからといって、「元夫はとてもいい人です」とはなりませんでしたが、少なくとも私や家族に対して何かしてあげたいと思っていたのは分かります。
そんな状況になって初めて、元夫が自分なりに私や子供たちのことを大事にしていることを知りました。
家を出て帰らない私、私の代わりにただ家のことをこなす娘や、笑わなくなった息子。
元夫が私たちを楽にしてあげる方法は離婚しかなかった。
絶対にしたくなかった離婚を、家族のためにしてくれたのだと思いました。
そのことに気付いたとき感謝するとともに、この人の結婚生活の16年間を私が無駄にさせたのかもしれないと怖くなったのです。
なぜなら離婚を決めたのも私、今子供たちに囲まれているのも私だから。
離婚後はそんな罪悪感を感じ続けてきました。
元夫が恨んだり責めているだろうと、恐怖も感じてきました。
元夫がどう思っているかは本人に聞かなければわからないのに、別れてなお「私を攻撃する人」として元夫を認識していたということです。
これは私が自分を責めるために作り出した設定・視点です。
なぜ責めることが必要なのかというと、私がこれほど自分を責めているのだから、まさかこれ以上周りは責めないでしょ?という防衛であったり、私以上にひどい元夫はもっと自己反省すべきという怒りもありました。
遠回しにめちゃくちゃ怒っていたのです。
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こじれる前に「相手にも相手なりの愛情がある」視点を二人が持てていたなら、結末も違ったのかもしれません。
同じケンカをしていても分かってもらえているのと、一つも伝わっていないと感じるのでは、心の距離が全然違うからです。
私になんとか近づきたいのに近づけなくて、怒りをぶつけてしまう元夫。
役割を果たしていれば文句を言われる筋合いはないと、家族の距離感ではない遠い所にいた私。
大きな孤独感を感じていたのは、お互いだったと思います。
離婚という選択が悪いわけではありませんが、こんな私でさえ、うまくいくものなら何とかしたかった時期の方が長かったのです。
自分から愛することを止めたけれど、愛情が完全に消えてなくなったわけではありませんでした。
そうでなければ、ただ子育てや生活のために16年間も共に暮らせません。
良くも悪くも、元夫のことばかり考えてきたとも言えます。
もし私が離婚という行き先を変えたかったのなら、「この人を心から愛することはない」と最初に決めた目的地をどこかで変えなければならなかったのです。
そのためにはパートナーとこれからどうありたいのかを、自分が決めることが必然になってきます。
決めるときは、『生活が・・』『子供が・・』とか『相手がこんなひどい行動を改めてくれたら』など、都合は抜きです。
自分の気持ち以外の、都合で何かを決めると、必ずと言っていいほど不満が出ます。
なぜなら、「自分はこんなに我慢しているのに」となりますから。
現実の状況を我慢しているように感じますが、実際に抑えているのは『感情』です。
『感情』は抑えても、のちに状況が変わってもなくならず、抑えた分だけより大きな反動が起きたりもします。
まず自分の気持ちを軸にして、それから何ができるかできないか、自分の本当に望むものと折り合えるのかです。
本当は家族でずっと仲良く、年をとっても愛して大事にしあいたかった。
それだけが本当に欲しいものだったのに、伝えることをしませんでした。
「どうせ生活のためなんだろう」
「子供が大きくなったら離婚するんだろう」
元夫に言われるたび否定はしてきましたが、私が本当に欲しいものは言ったこともありませんでした。
いつも『大事にしてくれない』『どうせ言っても無駄』と怒っていたからです。
「あなたが反省して態度を改めるのなら、この先を考えてもいい」
自分は一つも悪くないと思っていましたし、相手が変わるなどという都合の良いことは起こらなかったので、関係性は悪化するばかりでした。
私はずっと、より良いパートナーシップのためにやれることはやった!!と勘違いをしてきたのです。
仕事をしながらワンオペで家事育児をしてきたこと、文句は言わないけれど考えていることも言わないこと、弱みを見せずに感情的にもならないこと。
これって、パートナーシップと言えるでしょうか?
ひとりで体力や精神力の限界に挑戦してきたようなものです。
元夫は、どんな感情を感じていたのだろうか。
近くにいるのに、まるで必要ないかのようにあてにされない存在。
このことにやっと思い至ったときの、心の痛さ、苦しさ、申し訳なさ、悲しさ・・。
理由や状況に関わらず、愛せなかったことがこれほどつらいものなのかと実感しました。
きっと相手も自分も同じくらいつらかったはずです。
なぜなら、本当は分かってほしいのに伝わらないことが離婚するほどの怒りになるのです。
この認識が当時はなかったので、かんばってもうまくいかなかったのだと思っています。
ブログを読んでくださっている方の中にも、パートナーシップに限界を感じて悩んでいる方がいらっしゃるかもしれません。
何が一番つらいでしょうか?
分かり合えないこと、頑張っているのに何も変わらないこと、いろいろありますよね。
ではなぜそれらがつらいのでしょう?
自分一人が感じているものでしょうか?
自分の気持ちはもちろん大切なものですが、誰かとの関係性においては、自分の気持ちだけでは先へ進むことが出来ません。
「自分はこの人を愛のある視点で見てきただろうか?」
パートナーを本気で知りたい・理解しようと決めたなら「もう限界!」なパートナーシップから抜け出せるかもしれません。
しかしながらパートナーの気持ちを少しでも知りたいと思って受け入れるかどうかと、なんでも相手のいうことをきくとは違います。
お互いが上手くやっていく方法を、二人で考えることが大事で、そのためには怒りを伴わずに思っていることを伝える勇気がいります。
ちなみに私は、我慢した怒りをぶちまけることでしか、要求を伝えることができませんでした。
普段は怒らせないように我慢を重ねて、その我慢があふれたときには、まさに追い詰められた小動物のように全身全霊で噛みつきに行ったものです。
そんなケンカ中にお互いのための提案は考えにくいですし、だだの暴言大会になりますので、落ち着いて話せることが大事です。
もしどちらかが怒りだしてしまったら、険悪になる前に話を保留にしてもいいかもしれません。
ケンカになるということは、どちらにも「抑えてきた感情をわかってもらえていない」という気持ちが少なからずあります。
分かってくれない相手に対しては、気持ちや考えを話したくもないし、心を開きたくはないわけです。
話しているうちに自分がイライラしてきたなら、「もう一度考えるから、また話させてね」と歩み寄りたいという姿勢を伝えつつ、退却するのも手です。
イライラ=抑えてきた感情ですから、パートナー以外の人に聞いてもらってもいいのです。
感情は抑えればたまっていき、本当の感情を表現できれば昇華していきます。
この人心底ムカつく!!!は、根本の感情ではありません。
何が欲しくて腹を立てているのか、という内面へアプローチすることが重要になってきます。
友人でも家族でもカウンセラーでも、信頼できる相手に感情を出して聞いてもらうことで、限界な自分の心に余裕を作る。
その余裕で、いったんパートナーの意見(不満かも)を受け入れる。
自分には聞いてもらえる場所があるという余裕と、聞いてもらえないパートナーはそうとうしんどいだろうという視点。
この二つがあの地獄の結婚生活にあったなら、もっと楽だっただろうと心底思います。
元はといえば当時誰にも聞いてもらえなかったから、いつかカウンセラーになろうと思っての今の私です。
これらの失敗も、私にとっては無駄ではなかったということですね。
とはいえ、分かってもらえないと怒りを抱いているパートナーに、一度や二度こちらが働きかけたところで、すぐにうまくいくとは限りません。
反撃覚悟の長期戦かもしれません。
それでもパートナーシップをあきらめたくない、もしくはまだこの先を決めかねているなら。
ひとりで頑張らずに、練習だと思って誰かに頼ってみてくださいね。
パートナーシップは「一人では成り立たない」のですから。