人はたくさんの観念を持っていると言われています。
観念とは、物事に対する考え方や意識のことなのですが、その中でも「これはこういうものだ」と信じて疑わないことを『思い込み』とも言います。
『思い込み』って誰でもあると思うのですが、なにしろ思い込んでいるのがデフォルトで、そもそも疑っていない状態なわけですから、自分では気付きにくく、思い込んでいる意識すらないことが多いのではないでしょうか。
そのことで不便が無ければ何の問題もないのですけれど、周りの認識や事実と大きく違ったり、自分の状況が変化していたとしたら、なぜかわからないけれどうまくいかないなんてことが起こります。
そして「これはこういうものである」と決めつけていたモノの見方が変わった時、思った以上に楽になることもあるのです。
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私は日常的に「赤ボールペン」を使います。
他のペンと持ち替える時間が惜しいほどには使うので、黒赤二色+シャープのペンなのですが、赤インクの出だけが非常に悪かったんです。
線を引くにしても二回なぞらなければならない、書き始めが出ないから書き直すといった具合に、地味にストレスを感じていました。
みなさんなら、ここでどうしますか?
客観的に考えたら、詰め替えの芯を替えるのがよさそうです。
でも私は替えることを、まったく思いつかなかったんです。
100円以下の、ボールペン詰め替えの芯。
毎日不快に感じるくらいなら、替えたほうがコスパがいいと思いませんか?
私が思いつかなかったのには理由がありました。
小学一年生の時に、親に説教をされたのです。
一年生と言えば、学校に行くことにドキドキし、たくさん勉強しよう!なんていうやる気が一番ある時です。
そんな時に、入学早々消しゴムを落としてしまいました。
探しても見つからない・・・としょんぼりしながらお母さんに報告したのです。
すると母は淡々と語りました。
この消しゴムは100円ほどだけど、働く人の時給で考えたら、10分の労働と同じなんだよと。
(最低賃金で年代がわかりますね!)
お前は10分の労働を、何度も無くし無駄にするのかと。
震えました。
親の労働を無駄にしている自分は、なんて悪い子供なのか。
以来、物とは労働であるという『観念』が生まれました。
そして仕事とはつらいものという観念にもなりました。
だって、親が怖い顔をして10分の労働について話したのですから、仕事とはさぞかし大変なものだろうという認識です。
それはそれで悪くはないことだとは思います。
けれど「物は最後まで使い切り、絶対に無駄にしてはならないもの」と思い込んだ結果。
私は仕事に支障が出ているのに、替え芯一本交換することができなかったのです。
出の悪いインクにイライラし始めてから二か月後にやっと、芯を替えたらいいだけと気づいて自分でもびっくりしましたし、替えてみたら思った以上に快適に仕事ができて、とてもいい気分になりました。
元はと言えば、親の労働を無駄にしたくないという子供心からの思い込みが、大人になった自分の労働時間を無駄にしてしまっていたというオチです。
こわいですね!!
いかに子供時代のインプリンティング(刷り込み)が強力なのか、という話でもあります。
そして強力であるほど、自覚しにくいのです。
当然のように思い込んでいるわけですから。
でも思い込みは、今の自分が不都合であれば気付いて変えられます。
子供の頃は親と暮らしていましたから、その親の観念が行動の基準になることも多かったかもしれません。
物理的に、もしくは精神的に、親の庇護から離れているのなら、観念もまた自分の基準で新たにしてもいいように思います。
今ご自身の中で問題になっていることは何でしょうか?
いくつかあるとしたら、一番変えても影響が小さそうなことはなんでしょう?
いきなり大きな問題を乗り越えるのは大変なので、私のボールペン問題くらいの小さなことから取り組むことをお勧めします。
その問題はどうなったら気にならなくなるでしょうか?
例)仕事のストレスを減らしたいな、ボールペンの赤インクがスムーズに出たらいいなぁ・・
どんな理由で変えることができないのですか?
例)使い切ってないものは、もったいないから変えられない・・・
そこにはどんな観念や思い込みがありそうですか?
例)物は大事にしないといけない。物はお金で、お金は労働で、労働は大変だから。
といったように、連想ゲームのようにたどっていくと、自分が持っている思い込みに気づくこともできるのかもしれません。
連想ゲーム、子供の頃にしませんでしたか?
『うさぎ→うさぎは白い→白いは砂糖→砂糖は甘い→甘いは・・』みたいな。
年代によるかもしれません・・
でもこの『連想』、自分の思い込みを知るのには結構使えるんです。
同じお題でも、人それぞれ答えが違っていて、そこにはいつか受け入れた考えや経験が影響しているからです。
何気なく出した連想ゲームの答えに対して、なぜその答えだと思ったのか。
(うさぎは白いとか。このあいだ大量のうさぎを見ましたが、白い子はほとんどいませんでした。なんで白が主流と思っていたんでしょう?)
いつどこでその観念が作られたのか。
(日本昔話に出てくるうさぎは、たいてい白くないですか?ピーターラビットはうす茶色ですよね)
そう思考してみるのも、新たな自分を発見できそうです。
ちなみに私は先日とある庭園に行きまして、池に魚が泳いでいました。
色からしても「鯉がいる~」と思ったのですが、よーーーーく見ると顔がニジマスでした。
黒っぽいのも鯉ではなくイトウでした。
思わず「全部鯉じゃないんですけど!!」と突っ込んでしまいましたね。
庭園=池=鯉という思い込みです。
別に鯉以外の魚が庭園にいてもいいですもんね。
餌が購入できてあげてみたのですが、鯉ほど貪欲ではなく集まりが非常に悪かったです。
一瞬で自分の持ち場に帰っていくという、野生の血なのか、クールなお魚たちでした。
このお話のアイキャッチ画像にしていますので、よろしければご覧ください。
鯉だと思いますよね!?
こうして数え上げればきりがないほど、多くの観念を私たちは持って生きています。
楽に生きるためにそのうちのいくつかを変えたって、『自分』がなくなったりはしません。
こうしなきゃいけない、なかなかできない、そんなストレスをためていませんか?
もしかしたらそのストレスは、思い込みに気付くだけで減らせるかもしれません。
「どんな思い込みがあるのか、そもそもわからない」
「思い込みがあったのはわかったけれど、そこからどうやって楽な考え方にしていくの?」
そう思ったみなさま、ご安心ください。
カウンセラーはいつもこの視点をもって、どうしたら楽に生きられるのか、つらさが軽減されるのかを考えています。
話しただけで気持ちが軽くなる方もたくさんいらっしゃいます。
お気軽にお話しくださいね。