「愛」と「執着」は何が違う? ~苦しい恋愛の裏にある“不安”との向き合い方

みなさま、こんにちは。
いつもお読みいただきありがとうございます。

先日、とあるマンガを読んでいたとき、何度も出てきた『愛と執着』という言葉がとても気になりました。。

マンガでも本でも映像でも「人の心や感情」を描写するシーンがあると、
「どういう気持ちかな?どんな感覚かな?」
と感じたり、どこまでも考えたくなってしまいます。

お付き合いいただけたら幸いです。

■『愛』と『執着』の違い

そのマンガには、
『愛ゆえの執着』
『愛しているからこその独占欲』
という内容が描かれていましたが、ふと以前の自分の恋愛を思い出しました。


『愛=執着』だと思っていたころ、私はずいぶんと執着に振り回されていたものです。

心理学を学んできた今の私は、『愛』と『執着』は似ているようで方向性が違うものだと感じています。


厳密に「これは愛!」「これは執着!」というように分けにくいですし、重なっている部分もあるのかもしれません。

ですが他者への愛とはその相手に向かっていて、他者への執着とはベクトルが自分へ向かっている、私が「方向性が違う」と感じる理由です。

愛とは、信頼や幸せでいてほしいという想いを相手に対して感じている、ひとりの人間として尊重し大切にする、そんなイメージです。
受け取ってもらえるもらえないにかかわらず、自分の心が誰かを愛することは自由で軽やかです。

一方執着とは『自分に無いものを埋めるために必要と感じるもの』『自分が絶対手放したくないもの』で、愛する自由さとは違い制限がかかります

例えば親が子供の健やかな成長を願い、幸せであってほしいという気持ちは愛だと思うのですが。
子供の将来の成功のためには、この学校に入らなければならない、これを学ばなければならないというのは親自身が手放したくない、執着している観念で、親自身の安心が含まれているように思います。

私が子育て中に経験したことでもありますし、恋愛にも当てはまります。
もちろん子供のためにという愛情もあったわけですが、子供の選択肢に制限をかけていたと思いますし、私自身が子供だったころやはり親の執着を感じて、きゅうくつで逃れたいと思っていました。

愛と執着では、もしかしたら向けられた側の方が違いに気づきやすいかもしれません。

■なぜ『執着』してしまうのか

執着は、愛が深いから起こるのでしょうか。

恋愛をしているとき、よく話題に上がるのがLINEの頻度や会う回数。
気になりますよね。
私もさんざん悩んだ経験があるので、とってもわかります。


毎日LINEが来ないと不安になる。
既読になっているかどうか、何度も確認してしまう。
私は毎日でも会いたいのだけど、彼はそうではないのかも。

などなど一見相手への強い想いからくる気持ちのように感じるかもしれません。

けれど「好きなら毎日連絡を取るはず」「LINEが来るのを気にかけているはず」「好きなら毎日会いたいはず」という、自分がそうだから相手もそうだろうと無意識に投影していることが多くあります。

自分自身がLINEの頻度・返信の早さ・会う回数=愛情の大きさと思っているほど、LINEがぜんぜん来ないから私のことを考えてくれていない!好きじゃないのかも!?というように考えてしまうんですね。


かつて私も、「好きな人がいつか去っていくのではないか」という不安を埋めるために、いつでも気にかけてくれて即レスしほしい!!という自分の感情が抑えきれず、あの手この手を使って相手にLINEさせようと必死になった結果、重たい女として距離を置かれたことがありました。
(私の時はLINEがまだない時代でメールでした。サバを読んですみません・・)

その時の私のように、実際の相手の気持ちではなく愛されていないのかもという自分の中にある不安や恐れを見ていて、だから相手をコントロールしようとしてしまうのが執着なのではないでしょうか。

この人じゃなきゃダメ!!という感覚も、こんな(自己価値の低い)私に『いい感情』を感じさせてくれた相手を絶対に手放したくないという、『自分が感じたいい感情(ときめき、安心感、充足感など)への執着なのかもしれません。


好きな人をただ愛せたら、どんなに楽でしょう。
執着するのが悪いのではなく、執着があると苦しいんですよね。
したくてしているわけではないし、してしまうのにも理由があるんです。


不安や恐れには多くの場合、子供の頃の原体験があります。

幼少期、家族や近しい人から愛されたいという想いは誰しも持っているのではないでしょうか。
けれど何らかの理由で、愛されていないのかも、家族にとって自分は価値のない存在なのかもと感じたとき、とても傷ついてしまいます。
その傷はとても痛いので、私たちは何とかその傷を埋めようとします。
なので、親密感を感じる相手に対して同じように不安や恐れを映し出し、相手に埋めてもらうことで、その傷を癒そうとすることがあるのです。

理屈ではなく自動的にそう感じてしまうので、自分では投影していることに気づきにくいんです。
気づいたとしても、愛されていないかもしれないという恐れはすぐに消えるものではないように思います。

■『愛』ゆえの『執着』は成り立つ?

確かに相手への興味関心が無ければ、執着することもありません。
ただ何のためにその興味関心が湧いているのか、相手の幸せを心から応援するためなのか、自分の幸せを得るためなのか。

繰り返しになりますが、どちらが良くてどちらが悪いというものではなく、自分の心は今どこにあって何を感じているのか知っておくと先へ進みやすいよ!ということです。


『愛ゆえの執着』、これだけを考えると迷ってしまいますが、物事は常に表裏一体です。
『執着ゆえの愛』、どうでしょう?
なんだかゾワッとするのは私だけでしょうか。

成り立つか何が正しいかよりも、自分の心がどう感じるか、そこに自由さや安定はあるのかを優先させていただきたいと思います。

■『執着』をゆるめていく方法

変化は緩やかかもしれませんが、少しずつ恐れや不安を手放していくことをお勧めします。
私は執着している自分が嫌で苦しく、いきなり相手と距離を取ることを繰り返してきたのですが、物理的に離れても心は残ったままで余計に苦しくなることが多くありました。

苦しいから、また誰かに心を埋めてもらおうとして重い女になるわけです。


絶対に失いたくない、絶対に手に入れたいと必死になっているとき幸せは感じにくいですし、相手もその気持ちに共鳴しますから、縛られてしまうような重たさを感じることは少なくありません。

まずはその相手としか幸せになれないという思い込みから、自分を解放してあげてください。


愛されていないのかもという強い不安を最初に感じたのは、いつ誰に対してだったでしょうか?
私はそこから取り組みました。

丁寧に自分の気持ちを感じたり、信頼できる人と安全に関係を築いていくことで心の傷が癒えていけば、徐々に執着は必要がなくなってきます。

誰かや何かで埋めなくても自分は愛される、そう感じられたなら、一つに執着せずともたくさんの選択肢から愛したいものを選んでいけるようになります。

選択肢が多ければ、いらないものをいらないと言えるようにもなるんです。


そんなふうに軽やかな人生を送りたいと思いませんか?
カウンセリングでお待ちしておりますね!!


















タイトルとURLをコピーしました