人と比べるとよりネガティブになってしまう~対比と観念~

だいぶ遅いご挨拶になりましたが、本年もこうして読んでいただき、ありがとうございます。

みなさま、年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。
家族で過ごされた方、お仕事だった方、のんびりされた方、いろいろな過ごしかをされたかと思います。

どんな過ごし方にせよ、年末年始には『普段はあまり意識していない観念』が現れやすくなるのではないかな?などと思いました。
ここでの観念とは、自分が物事に対して持っている考えや認識という意味です。

日常よりも周りとの対比が起こりやすくなるように感じます。
わかりやすく言うと、自分と周りを比べることで、その違いがより強調されて感じるのでは?ということ。

なぜなら、多くの人が『年越し』という風習を子供のころから体験してきて、それぞれの思い出や過ごし方を持っていますよね。

毎年決まって訪れるイベントの中でも、世間的にお休みが多いとか、掃除をするとか、売り出しをするなど、さまざまな世代に関わってくるのが年末年始のような気がします。

たとえクリスマスパーティーをしない方でも、年は勝手に越しますし。

世間が一つの方向へ向かっていると、そこに対比が生まれやすいのではないかなぁと。

毎年繰り返し起きるイベントということで、過去との対比が起きやすいですし、親せきなどと会う機会があるのなら、身内同士での対比も起きやすいかもしれません。

仕事で忙しければ、お休みの方とそうではない自分と比べるとか、もしくは単純に休みだけの比較ではなく、自分の状況と他人の状況を対比することがあるかもしれないと思っています。

比べることがすべて悪いわけではありません。
問題になるのは、対比することでネガティブさがアップしてしまう場合です。

例えば、自分は独身だからと仕事シフトを入れられて断れないとか。
(休みが欲しいのはみんな同じなのに、私だけ毎年仕事だな・・)

実家に行くけれど、兄姉夫婦がいて自分はなぜか肩身がせまく感じるとか。
(手伝うのはいいんだけど、子供がいないだけで手伝わないといけないような気持ちになる・・)

一人で過ごすけれど、やることがなくてしんどいとか。
(いつもなら休みは出かけるけれど、どこも混んでいるし。みんなは何をしているのかな)

これらは、私が感じたことのあるものや友人の話ですけれど。
こんなふうに普段は意識してないことなのに、ネガティブに感じられることがあるかもしれません。

けれど、それは自分の観念や感じ方を考えてみる機会でもあります。

これから何十回もくる年末年始です。
誰か・何かと比べて、毎年ゆううつな気持ちになるのはつらいですよね。

というのも、以前の私は『年末ゆううつ組』でうんざりしていたからです。

例年大晦日は私の実家に親族が集まるのが恒例なのですが、一年の締めくくりはネガティブな気持ちというのもまたいつものことで。

私とうちの子供たちは、実家に行っても食事が終わるなりそそくさと自宅に帰っていました。
実家は両親と弟家族の二世帯なので、私と子どもたちは『部外者』という感覚がして、くつろぐことができないと感じていたからです。

生活圏が違うので共通の話題もあまりありませんし、
「誰の何の話題なの??」
と話に加わってみても知り合いの話でもなく、沈黙することもしばしば。

さらに私と子供たちはみんな静かなタイプで、自分の話はあまりしません。
楽しそうに盛り上がる中、人の話を聞いているばかりで、あいづちしか打ってないなんてこともありました。

すごくひねくれていて暗かった以前の私は、
『私たちがいてもいなくても関係なしに、実家の家族だけで楽しく過ごせるのだろう』
なんて考えてしまい、まるで自分と子どもたちは舞台のエキストラのようだと感じていたのです。

恒例行事の、ただの、人数合わせ。
そう思っていたので、ゆううつにもなります。

今考えると、笑ってしまうくらい卑屈でした。

本当は家族としてみんなの輪に加わりたいから、加われていない(と思っている)自分がつらかったし、楽しそうな周りと楽しくない自分を対比させて、すねちゃってたんだな~なんて思います。

そして子どもたちも私と同じ気持ちだと思い込んでいました。
が、のちに勘違いだということもわかりました。
子供にとっては、お年玉がもらえて美味しいものが食べられる非日常は、それなりに楽しんでいたみたいです。

私は自分の気持ちを実家の家族や子どもたちに投影して、自らお正月をゆううつなものにしていたようでした。

自分は家族にとっていてもいなくてもいい存在なのではと、疑いをかけていたのは自分自身。
どうでもいい存在だから、家族にすら話しかけてもらえないのだと周りと自分を対比させて、ネガティブを強化してたのです。

自分を疑いの目で見ているのと同じだけ、家族にも疑いの目が向きますので、まるで家族が私のことを無視しているかのように感じていたということ。

何の話に加わることもせず、さっさと帰っていたのは逆にこちらだったんですけどね。

その場に加われているか、いないかって、全部ではありませんが自分の感じ方次第の部分があるように思います。
興味があって関わろうとすれば、楽しくその場にいることができたでしょうし、加わる気が無ければそれはそれでいいわけです。

私にとって本当に苦痛な行事ならば、
「誰に何と言われようと、私は行かん!!」
という選択肢もあったと思います。

それなのに『みんなと比べて話にも加われない自分は・・』と、わざわざ対比を使って、自分を落ち込ませなくてもいいですよね。

もちろん「お前はエキストラだ!!」なんて言われたこともありませんでした。
(余談ですが・・もしそんな言葉をかけてくる人がいたならば、その人が自分自身に対してそう感じているのかもしれません。
その言葉が相手にダメージを与えることを知っているのは、自分にとって痛い言葉だからです。
ひどい言葉は言った側の投影ですので、その人も誰かと自分を比べているのかもしれませんね。
そう考えると、嫌なことを言ってくる人に対しての腹立たしさが少し減ると思いませんか?)

楽しそうな家族と比べて自分を下げては、その気持ちを周りに投影していたことに気付いた今では、穏やかな気持ちで年末をすごしています。

私はどうやら話すことより、人の話を聞く方が好きだということに気付いたというのもあります。
それなのに周りと同じように話せていないからと、自分の『好き』を無視していたので、できないことがよりつらく感じたのです。

以前の私は、話に加わることがその場に参加することだという観念を持っていたようです。

実際はそんなことはなく、無理に話に参加しなくても、それぞれが楽しんでいる様子をながめたり話を聞いたりしながら、自分も楽しいと感じられるようになりました。

自分の観念や感じ方は変化させることができます。

だとしたら、つらいことはつらいままでなくともいいのです。

比べてしまうのも人間なので仕方がないと思いますが、何かや誰かとの対比が強いと、本当につらいのはどの部分なのかが気づきにくくなることもあるようにも思います。

人と比べてネガティブになってしまう、自分はどんな観念を持っているのかよくわからないと感じたら、一度お話しに来てくださいね。

みなさまにとって、いい一年でありますように!!

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