みなさま、こんにちは。
今年のお盆の連休は、特に長いですね!
やっと一息つける方も、逆に繁忙期な方も、暑い中お疲れ様です。
私は例年通り、早々にお墓参りをしてきました。
お正月とお盆、年二回の数時間が、二世帯で暮らしている両親と弟家族と私が顔を合わせる機会です。
いろいろあったけど両親はなんだかんだうまくやっていますし、弟夫婦は仲がいい。
ついでに言うと、私が顔を合わせる親族はみんな夫婦仲良く暮らしているようです。
考えても仕方のないことなんですが、顔を見るたび思うんです。
「なぜ私だけパートナーシップがうまくいかなかったのだろうか」
離婚が悪いことだとは思っていません。
だけど周りが仲のいい夫婦ばかりだと、なんだか自分が悪かったのではと考えてしまうのが正直なところです。
私にとってのお盆は、今は会えない祖父母のことを考えたり、離婚など自分の来し方を振り返る、ちょっと切ない行事だったりします。
これから築くであろう(そうありたい)良きパートナーシップのために、振り返りも大切ではないかと思っています。
そんな私の「パートナーシップ失敗の備忘録」が、どなたかのお役にたてば幸いです。
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どれだけパートナーのことを考えて行動しても、関係性が上手くいかない。
自分のしたいことより、パートナーを優先してきたし、最大限のサポートもしてきたつもり。
それなのに、何をしても文句を言われるし、ケンカにしかならない。
もうこれ以上我慢できない。
この状態は、私の16年間の結婚生活において、最後の方の感覚です。
パートナーシップの再構築をあきらめた結果、私は離婚をしました。
関係性を修復するために、やれることはやったと思っていました。
生活も成り立たないほど元夫との関係は悪化していたので、離婚をした後悔は全くないのですが。
私と元夫との間で、どんなことが起こっていたのだろうと考えることがあります。
少し成長した今の私なら、以前の結婚生活のような状況でも、全く同じことにはならないように思うからです。
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当時の私は、相手への愛情から修復を望んだ時期もあれば、仕事や子供たちのことを考えて、離婚を我慢していた時期もありました。
パートナーとの関係性を良くしようと、ありとあらゆることを試したと思っているからこそ、絶望や無力感を感じます。
頑張った分だけ、「私はこんなに努力しているのに!!」と怒りゲージがどんどんあがり、MAXになっては怒りの爆発をくり返したり。
でもそうやって試行錯誤している時は、なんとかしたいからなのです。
あきらめてはいない、どうにかできるものならしたいと感じているように思います。
自分なりに何度もパートナーに向き合っているつもりで。
だからこそ、頑張ったのにパートナーと喧嘩になってしまったときの気持ちは最悪です。
自分の努力は無駄だった、同じことを繰り返しすぎて上手くいく気がしない、これ以上、何かをする気も起きない。
泥沼の中でもがいているように、一向に抜け出せないような疲れを感じてしまうことがあります。
そんな時は、相手も同じように感じていることが多いように思います。
自分一人が「もう限界!」状態なのではなく、パートナーも限界なのです。
けれど相手の努力や苦しさって、なかなか感じられないもので。
自分が怒っている時、相手の気持ちなんて知りたくもないですし、こちらが怒ればあちらも怒る。
だからパートナーが何を感じているか、わかりにくくなってしまいます。
でももし、この先も一緒に過ごそうと思っているのなら、相手がどう感じているかということはとても重要になってきます。
例えば、私が夫婦関係の修復をあきらめていた時期にとっていた行動は、
「感情を押し込めて、言われたことをひたすらやる」
ということ。
元夫を敵のように思っていましたから、心を閉ざして揚げ足を取られないよう、まるで当てつけのように仕事、家事や育児を一人でこなしていました。
『私は仕事も家事も育児もこれだけやっています。仕事から帰ったら寝てるだけ、休日すら何もしないあなたにも、私はお弁当も作るしお風呂も入れますよ(あなたは何もしないけどね)』
という無言の抗議メッセージを送り続けてるようなものです。
相手にお願いをしてみようという過程をすっとばし、『やって当然なのに絶対にやらない非協力的な夫』というレッテルを、私が元夫に貼っていました。
元夫からしたら手伝おうとした瞬間もたくさんあったかもしれませんし、少なくとも「音を上げたら手伝ってやろう」くらいは思っていたでしょう。
体調を崩して寝込んだときは、家事をしてくれていましたから。
人は貼られたレッテルの通りに動いてしまうことがあります。
例えば元夫は、仕事では資格もたくさん持っていましたし、任せておけば何とかしてくれるという能力を持った人でした。
町内会の役員なども好評で、何もできないわけではなかったのです。
家庭においては私が、元夫を『頼る価値のない人』にしたのかもしれません。
なぜなら、二人の子供たちに対して『最終的に頼るべきは母親』と感じて欲しかったからです。
それは離婚に対する準備でした。
元夫と私は、家の中でさえメールでやり取りをするほど関係性が悪化していました。
両親が一言も言葉を交わさない家で、子供たちにも影響しないわけがないと焦りを感じる一方、本当に二人とも私について来てくれるのだろうかと不安を抱えていました。
何が不安だったかというと、元夫は下の子には甘かったので私を選ばないのではないか、そう思っていました。
だから母親が養育権を取りやすい10歳までに離婚をしたかった。
娘が私についてくるのは分かっていたので、姉弟離れてほしくないという勝手なわがままです。
これは元夫にも伝えてありました。
ケンカになって言葉で言い争っても、私は「一般的な正しさ(常識)」を使っているので負けることはありませんでした。
身体的に負けることはたくさんありましたけれど。
元夫も自分の言い分が「一般的な正しさ」ではないことが分かっていたのでしょう。
でもわかって欲しい相手が、他の誰でもない妻の私だった。
常識を武器にする私に対して、伝わらない苛立ちは常にあったのではないかなと思います。
がんばっているのに分かって欲しいのに、唯一伝えたい人に何にも伝わらない怒り。
多分この感情は、私も夫も等しく持っていたものだと思います。
元夫にとって、それが暴力や無視といった、私がスルー出来ないような行動をとることにつながったのかもしれません。
私も元夫がしたことも「怒り」からの行動で、表現方法が違うだけなのです。
「やることはやっているのだから、何もしない相手が悪い。悪い方が改善すべきだ」
私はそんな目で、ずっと元夫を見ていました。
文句は言いません。思っているだけです。
でも、これも相当な怒りです。
口にも態度にも出していないから、悪いのは相手では?
そうかもしれませんが、人間はそんな鈍くはないんですよね。
家族は特に一緒に暮らしているわけですから、感情はほとんど伝わっています。
当時の私は、一人でこなして見せることで、いかに元夫が私よりダメ人間で必要がないのか、証明しようとしていたのです。
もちろん口で言わなくても、ちゃんと伝わっていたことでしょう。
関係性の再構築をあきらめた私を、元夫が手伝うことはありませんでした。
これではどこまで行っても平行線な関係どころか、離れていく一方ですよね。
言葉以外で伝わった感情は、「言いたいことがあるなら、言えばいいのに」という苛立ちを触発したりもします。
人は分からないことに不安を抱くこともあるので、不安を感じさせる対象に、怒りを感じることもあるようです。
「いつか離婚を言い出すのではないか」
元夫は一貫して離婚を望んではいなかったので、もしかしたらそんな不安をずっと持ち続けていたのかもしれません。
「怒り」というのは感情のフタで、その下に別の気持ちが隠れています。
「分かってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」
この三つの感情が、怒りというフタの下に隠された本当の気持ちです。
自分もあの人も。
怒っている時には、これらの気持ちをベースにしているのです。
三つの感情のうち一つか、二つあるいは全部かもしれません。
怒り方は人それぞれでも、大切な本当の気持ちが隠れているという点では、自分も相手も同じなんです。
心理学を知らなかった当時の私ですが、何となく怒りの下の感情があることを分かっていたからこそ、16年間ともに一緒にいたのだと思います。
この人はひどい行いをしていても、気持ちは私のほうを向いていると感じてきました。
長く関わっている相手とは、感覚としてわかる部分もあるかもしれません。
元夫は、『わかって欲しい、助けてほしい、愛してほしい』と強く感じていることを、私に対して表現していたのだと思います。
怒りを爆発させて物や人に当たるのは、分かってもらえないから。
なんの話もしなかったりご飯を食べないのは、自分がないがしろにしている自分自身を私に助けてほしいから。
ケンカばかりでも一緒に過ごそうとするのは、愛していてそうしたいから。
聞いたわけではないので事実ではないかもしれないけれど、そう想像したら恨みを持ち続けることは逆に難しい。
私に分かってもらえない、助けてもらえない、愛も感じられなくてあれほど、元夫自身で後悔するほど、力で私をコントロールしようとしたのでしょう。
こちらとしては、
「ああしろこうしろって、私はしてるのに文句ばっかり。この人がしてくれる時もたまにあるけれど、そんなちっぽけな好意なんて、愛でもなんでもないわ。仏くらいの愛をくれたら信じてあげる。だってこっちは『仏の顔も三度まで』なのに、何十回も我慢してる。もう許せない!!」
と常にファイティング状態なわけです。
戦う気満々の私には、元夫の行動全てが敵対行動に見えましたし、こちらが警戒して緊張している様子は相手にも伝わっていました。
「お前は俺が近づくと逃げていくし、常に一定の距離を保っている」
と言われたこともありました。
心を許していたり、好きな人に対する態度とは真逆なのは明らかです。
元夫から一方的にひどい仕打ちを受けたと思ってきた私でしたが、元夫からすると、
「なんでそんな好きでもない俺と、一緒にいるんだ。生活のためだけじゃないのか」
とケンカをするたびに言われました。
当時の私はそう言われて、
「そうじゃない、好きだから頑張っているんだ」
とものすごく腹を立てましたが、腹が立ったのは痛いところを突かれたから。
自分が認めたくない所を指摘されたからそれを隠すように、数か月携帯メールでしか話をしていないにもかわらず、元夫のお弁当を毎日作ったりしていました。
ほら、好きな人のためじゃないとこんなに頑張れないでしょ?と証明するために。
はい、私はこんなに努力しましたよ。
あなたは何をして愛を証明してくれるの?
さぞかし私の努力に見合うものを、いただけるのでしょうね?
なんて上からで、傲慢で、愛のない目線。
好きな相手に向けるようなものではありませんでした。
私は確かに、努力はしたかもしれません。
でも、さあ後はあなた次第、と丸投げするのでは関係を築けません。
自分がパートナーシップをどうしたいのかに向き合い、どうするのか決めないと、相手次第になってしまいます。
こうしてほしい、相手に変わってほしいと思う度合いだけ、してもらえない時の不満だけが積もっていきますし、それはパートナーも同じです。
お互いが相手に変わってほしいと考えていたとしたら、待っていても何も起こりません。
私にも身に覚えがあるのですが、パートナーが自分の幸せを左右すると考えている時は、パートナーの幸せは他人事です。
私を幸せにしてくれるのは相手であって、自分が幸せにしてあげようとは考えていないからです。
「あなたはあなたで勝手に幸せになってね。でも私のことは幸せにしてね!?」
といったところでしょうか。
それでもいいと言ってくれるパートナーがいればいいのですが、自分が逆の立場なら難しいです。
ですので、自分がこのパートナーとどういう関係を築いていきたいのかを決めることが、「もう限界!」な関係性から抜け出すポイントになります。
いやいや、仲良くしていきたいと思って行動してきたし、さんざん試したし努力しましたよ?
そうです、私もしたのでわかります、努力されましたよね。
・・・その結果が、今なわけです。
うまくいっていないのなら、いい関係を築きたいのなら、やり方や視点を変える必要があります。
どちらかが歩み寄らないかぎり、うまくは行きにくいので、関係性を修復する場合は、決めた側が変わるしかありません。
綱引きのようなもので、相手が悪いから相手が変わるべきだと、お互いが自分の正義を引っ張り合っていたら?
どちらかが力尽きるまで終わらないですし、力尽きて関係性が良くなったりはしにくいように思います。
気付いた方が、綱引きをやめる必要があるのです。
・・・今までもさんざん我慢したのに、なんで私ばっかり変わらないといけないの??
と、ものすごく嫌な気持ちになることもあります。
なので、関係を修復するかしないのかは、自分で決めてよく。
相手が変わってくれるのを期待して待ったのが、今現在なので。
自分で決めて行動したのなら、たとえ修復できなくても、決めたことをやり切ったと胸を張って言えるので、うまくいかなくてもその後に自分で自分を認めやすいのです。
この人ともう一度うまくやっていこうと決めたときに、私がしたことは、
「あなたとこの先も一緒にいます」
という意思を言葉にしました。
さらに言葉だけではないことも伝えたかったので、家というお互いの生涯の居場所を作るべく、週末ごとに一緒にモデルルームを見に行きました。
二人の未来に関わることについて、共に考える機会を作ったつもりでした。
つもりというのは、今思えばローンの返済という縛りで、自分が離婚しにくい状況を作ることで、この先も一緒に夫婦生活を続けるという意思を遠回しに伝えたつもりというわけです。
ええと、遠回しはほぼ伝わりません。
返済シミュレーションなどもしてもらいましたが、それは私がこの先も協力し合うことを、私が相手に証明したかったから。
証明したいことは自分が信じていないことです。
どういうことかというと。
私自身が、元夫と生涯を共にすると信じていなかったから、分かりやすい証明としてこの先一緒に住むシンボルの『家』が必要だったのです。
『結婚』と同じように、私が私自身を縛り付ける『鎖』として家を必要としていました。
家のローンを背負ってしまえば、私の性格的には返済を優先する。
だから離婚しないだろう。
言い換えればそこまでの『鎖』が必要だったのは、逃げたくて逃げたくて仕方なかったから。
だって本当は、この結婚生活に愛なんてないと、私が思っていたから。
もともと『結婚』も私にとっては『鎖』でした。
別の話で書くかもしれませんが、私は家からとにかく離れたいという願望がありました。
そのためには進学よりも、就職をして経済的に自立をしたかったのです。
しかしながらコンプライアンスなんて言葉もなかった時代のこと、私の勤めた某大手企業では、事務職は残業月100時間なんて当たり前。
なれない仕事で疲弊していた時、元夫に出会いました。
自立をしていて頼れるパートナー、元夫との結婚をもって実家と仕事の地獄から逃れようとした結果、そううまくはいかなかったわけですけれど。
どううまくいかなかったのか、長くなってしまったので後編に続きたいと思います。
だからといって、自分を責めるにはあまりに長い時間、妻として母として過ごしてきました。
ちゃんと努力したのだから、もう楽になっていいと思っているんですけど、自分を責めるのはいつも自分なんですよね。
(後編へ続きます)