ありますよね?ありませんか?
私の知人に何人か、
「思考が止まらなくてつらい」
という方がいます。
けれど生きているかぎり、思考が止まるときはほとんどないと私は思っています。
寝ている間さえも夢を見るわけです。
脳は常に動いているんですよね。
生きている以上何らかの思考をしているのが普通で、「思考をしているからつらいんだ」ということは、
「生きていることがつらい」と同意なのではないかなと感じています。
そんな余計なお世話なことは、言いませんけれど。。
では知人たちの場合、考え続けることの何がつらいのかと話を聞いてみると。
『答えの出ない、出口のない思考を繰り返すのがつらい』のではないのかと想像しています。
私もですね、自分の選択をいつまでも引きずるタイプです。
過去の自分がした言動を、くり返し脳内再生しては、
「相手の反応はこうだったな・・」
「あの時、私が違う言い方をしていたら、もっとうまくいったのかも」
「他に最善な伝え方はなかったのだろうか」
と、印象に残った出来事を何十回も、あるいはもっと再生し続けます。
うまくいったことは、たいてい数回思い出しては満足します。
やはり何度も思い出すのは、うまくいかなかった時なんです。
例えば、
「元彼は私のことを大事に扱っていなかった。そう思うのは私の決めつけで、実は大事にされていたんじゃないの!?」
楽しかった記憶ばかりを引っ張り出しては。
「いやいやいや!あの時もこの時もあんなに悲しい思いをしたじゃない!!」
と我に返る。
どれほどこの脳内再生を繰り返したことか。
表面上はそんなそぶりは全く見せません。
「私に過去なんてあったかしら?今の私がベストなのよ」
というような人に見られたい。
なんだか過去にとらわれているみたいでかっこ悪いし、自分が選んだ物や方向が、間違いだったかもなんて思いたくもないからです。
過去の変えられないことを考え続けても、何にもならないと頭ではわかっています。
それなのでつい、自分の選択が正しかったフリをしてしまいます。
誰かに対してだけではなく、自分の心の中でさえ、最善を選んだから他に道はなかったと取りつくろってしまいます。
私がなぜ「自分の選択が正しいフリ」をするかというと、心のどこかで「自分は間違ったのではないか」という恐れがあり、それを隠したいから。
うまくいかなかった出来事を何度も思い返しては、「自分に落ち度がなかったか」確認しているのだとしたら、考えることが楽しい行為であるはずがありません。
それでも何度も同じことを考えてしまうのだとすると、どこかに『自分のせいだったら人から責められる』のではないかという気持ちがあるのかもしれません。
いやいや。
落ち度くらい誰にでもありますし、よほどのことでもない限り、表面的には誰かの間違いをいつまでも責めはしませんよね。
たとえ間違っても、謝ったら終わり、になることも多いです。
自分以外はもしかしたら忘れているようなことかもしれません。
実は自分の行いを、いつまでも忘れずに責め続けているのは自分です。
自分を責めているのだから、誰にも迷惑をかけていないように思うのですが。
「投影」という、鉄板の法則があります。
自分が見ている世界は、自分が認識したルールの世界。
「こんなことをしたら周りから責められる」と思っている時は、
「こんなことをされたら、自分だったら許せないな」
と感じているということ。
もう一つ、未だに自分が許せていない誰かがいて、その誰かに対して『私はあなたみたいに責められるような人間ではありません』と比較している人がいるのかもしれません。
つまり自分を責めている時は、自分以外の誰かを許していない、誰かを責めている時なのです。
うまくいかなかった原因を探るフリをしながら、何十回、あるいは何百回も思い返しては。
自分に落ち度がないか確認する=相手に落ち度があることを確認していたということ。
じゃ、じゃあ、私は・・・。
脳内で、何百回も、元彼を責めていたわけか・・・。
こんな怖い自分は、自分にすら隠したくもなります。
けれど気付いたのだから、そこには改善の余地があります。
直接相手に何百回も言ってはいないので、ぎりぎりセーフです。(よね?)
ギリギリセーフから、安全圏に入りたい。
失敗に終わった記憶を再生し続けるのはつらいですし、その時々で幸せをくれた、自分の選んだ人や物に感謝できたら幸せだろうな、と思うから。
怖いことに、心には「否定形」が通じないそうです。
「こうなりたくない」とか、「これは欲しくない」と思っていても、
「何度も考えるということは、とっても欲しいものなんだ!」と、自分の思考に関係なく無意識に勘違いしてしまいます。
ということは、うまくいかなかった関係性について何度も思い返すと、深層心理では「うまくいかない関係性」が欲しくて望んでいることになり。
その結果、より良いつながりが欲しいと思っているのに、なぜか頑張ってもうまくいかない、なんてことが起きたりします。
だからといって、何度も思い出すのがいけないわけではありません。
思い出さないようにという禁止をすると、禁止は欲求を生みますから、より強い欲求になるのです。
夜中に何かを食べてはいけない・・いけない・・でも食べたい!!みたいなやつですね。
心底よくわかります。
誰かや何かに対して何度も思い返すことがあるとき、
何のために同じ思考を繰り返しているのか、という視点を持ってみてください。
きっと理由があるはずです。
同じ場所や思考に留まることで、得ているものは何でしょう。
自分の成長の妨げになってはいませんか?
自分に起きた出来事は、意味があって起きているのだと仮定したら。
苦しささえも自らの学びになり得ます。
グルグルと何度も苦しさを味わうだけでは、もったいない。
どう使って次のステージに行きますか?
いつまでも責める自分でいたくない。
この先誰かといい関係性を築きたい。
そう思えた時から、いつでも自己成長が始まります。
まだまだこれからの人生に間に合いますよ!!